1988年の3月下旬から4月上旬、すなわち私にとっては春休みです。
JR化後、急速に客車列車が減少して行った為、鉄道への興味が『客車列車での旅』をベースだった私は、鉄道ファンの範疇から離れていた時期でした。そんな時にこの機関車をみて、衝撃が走りました。
EF58-66号機 JR奈良駅 NikonF3 + Ai Nikkor 50mm f1.4S Kodak Ektacrome
EF58は、荷物列車や客車を牽引して京都駅でよく見かけた機関車でした。写真のEF58-66号機は、運転席が大窓で、大きな日差し(つらら切り)が取り付けられており、紀勢本線で定期運用を持っていた頃は、人気ガマだったようです。66号機の現役時代は、私は東海道/山陽本線を走る荷物列車を記録撮影してEF58については満足していました。それだけではなく、紀勢本線は、新宮より東京側が非電化区間なので、DD51が牽引しているのだろうなと思い込んでおり、EF58が客車を牽引しているとは知りませんでした(^^;
1986年1月15日と2月23日に、天王寺(和歌山)〜御坊において『さよなら運転』を実施し、営業運用から離れましたが、その後写真にあるように1988年3月にお化粧直しして奈良電車区にやってきました。記憶が定かではありませんが、1992年ぐらいまで奈良電車区の北東に留置されていたと思います。
その1986年のさよなら運転の際、前照灯が竜華区仕様のRSB2灯シールドビームから、オリジナルの1灯に戻され、さよなら運転では点灯状態で走ってくれました。当時は前照灯を点灯させて走っていなかったので、これまたニュースでしたね。この前照灯の部品は、44号機からの移植だそうです(真偽は不明。1984年に44号機も宮原区から竜華に転属の際、2灯改造されているので、その外した部品が竜華区に残してあったのでしょうか?)。
当時のRail Magine誌に見開きで紹介されていました。さよなら運転の2回目(2/23)は、EF15-158号機と重連となり、12系客車を牽引しました。なんかこの記事をみて、もっと紀勢本線に乗っておけば良かったなぁと思いましたね。
その「さよなら運転」が記憶から消えそうになっていた時に、ピカピカに生まれ変わった姿を奈良駅で見た時は、興奮しました。ひょっとして車籍が復活されてイベント列車に充当されるのか??大窓原型なので、いい選択だなと、勝手に想像していました。
さて、この上の写真ですが、写真右上に国鉄コンテナが積み上げられている様子が写っています。実はこの頃、奈良駅は貨物駅が併設営業されていたようなのです。当時は気にして観察していた訳ではありませんが、5年ほど前、仕事で奈良駅周辺施設を調べることがあったことから旧貨物駅の存在を知ったのです。今、その証拠写真が自分の手で撮影していたことも驚きでした。線路状況からみてすでにコンテナ列車の運行は無かったと想像できますね。トラックターミナルみたいな位置づけで、百済貨物駅や梅小路貨物駅(現在の京都貨物駅)へJRコンテナをトラック輸送する中継駅だったのでしょうか。